『クーベタッドの花嫁』
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6−1.前夜(1)

 ファイランドは、階級制度を有している。
 全ての主導権は身分の高い者の手に多くあり、立場の弱い方はそれに従う。また、他の大多数の国と同じく、婚姻に関するしっかりとした法規が未だに成されていなかった。いわゆる、冠婚葬祭に属するといわれる行事は、教会預かりなのが慣例で、それは、クーベタッドの婚姻でも変わりはなかった。
 慣習に則い式を取り行う。神の前で誓いを交わし婚姻の成立とするが、教会自体の権威が元より乏しいファイランド、中でも王都での権威の無さといった傾向は一層強く、特たる効力は期待できないのが実情である。

 外は心地のいい青空が広がっていた。クーベタッド夫妻を乗せた馬車は、大通りを淀みなく駆けていく。
 それはビスキュイが、政務舎に顔を出した日から数えて数日後のことだった。
 ローエントッドへ連れられてから初めてクーベタッド夫人――ツィンマリに許された外出の供につくために呼び出されたビスキュイは、
「良い天気になりましたね」
 と、横付けに走らせていた馬の背から馬車に向けて、窓越しに見える横顔へ声をかけた。
 フランボワからツィンマリとともに連れられてきた捕虜たちを預かるテイラー邸と、クーベタッドの屋敷との物理的な距離は、ツィンマリが一人、クーベタッドの屋敷で暮らさざるを得なかった時間に比べると驚くほど短いものだったのだが、馬車がテイラー邸へたどりつくころには陽の光は傾きはじめようとしていた。
 ビスキュイがクーベタッドの屋敷へ迎えに訪れたとき、仕立て屋の雇われ針子の娘がツィンマリの既に身に纏っている衣装の裾に刺繍を施している最中だった。それもついに終わり、いよいよかと思いきや今度は、用意しておいた装飾品が気に入らないとそれまでずっとツィンマリに膝枕をしてもらい寝そべっていた男が、言い出したのだった。
 ようやくテイラー邸の門をくぐりぬけ、たどり着いたクーベタッド夫妻ら一行を出迎えたのは、ワッカロンと呼ばれる綺麗な白髪をもった老人を筆頭に好々爺といった顔の、フランボワの捕虜と呼ばれた人々だった。
 比較的高齢である彼らにとって、ファイランドまでの行程はどれほどだっただろうかと思えば、ローエントッドからろくに出たことのないビスキュイも頭の下がる気がした。ただ意外にも顔色はよさそうで、笑顔で歓待してくれたのが慰めだった。
 招きとおされたテイラー邸内部は、外からみるよりもずっと装飾のこまやかな佇まいをみせることに感嘆したビスキュイに、
「元々は、テイラー夫人の館だったと聞いている。
 ご主人を亡くされて息子が跡を継いでいるはずだが、夫人は、この屋敷を動きたくなかったらしく長らく一人で暮らしていたという話だったが」
 と、フェンベルクが説明した。案内された部屋のソファーに身を沈めていたビスキュイは、改めて部屋中を見まわした。
 言われてみればどことなく、確かに女性向けといった造りになっているような気がしないでもない。そう考えながら、ツィンマリの揺らす心地よい衣擦れの音を聞いたビスキュイは、軽く首を傾げ笑みを浮かべた。
 どうにも堅物な印象の強いフェンベルクが、屋敷の装飾や妻君の衣装など、変に豆で文句のつけようのない良い趣味をしてるのがふいに可笑しくなったのだった。
 ビスキュイが何を考えているのかなど知るわけもないフェンベルクは、手入れの行き届いた部屋へ視線を一巡りさせながら、
「フランボワからの捕虜達の預け先を探しているのを聞いたとき、2つ返事で館を貸してくれたらしいが。えらく気風のいい女もいたもんだな」
 真面目な調子で、続けて聞かせた。
「どういたしまして」
 それまで素知らぬ顔で、お茶のカップなどをセッティングしていた夫人が微笑みを浮かべた顔で答えた。
「……貴方が、テイラー夫人?」
「ええ。
 誰だと思われてまして?」
 テイラー夫人は、しまったという顔で尋ねるフェンベルクに笑顔のまま、返事を返した。手を止め、簡単な歓迎の挨拶を述べる夫人に代わり残りのカップを並べはじめた青年に気づくと、ビスキュイが声をかけた。
「元気だった?」
 手際のいい仕事ぶりを見せていたその青年――セアヤクは、控えめな笑顔とともに頷きかえした。
「知り合いなのか?」
 なんの気なしに尋ねたフェンベルクに、ビスキュイは、セアヤクがどこから、何時、なにを望んでフランボワからやってきたのかを、簡単に恨みがましい口調で説明した。
「いつまで待っても、面会の許可は下りないし。うちにいるよりここで待ってる方が知合いのいる分、せめて安心できるかと思って」
 ちょうど、カップの乗った皿をセアヤクはツィンマリの前に置きながら、いくらかの言葉を交わしているところだった。それを眺めながら、ビスキュイは言った。
「知らない国に一人でくるのってすごいですね。
 ツィンマリとも親しいみたいだけど――気になりますか?」
 悪戯っぽい視線を浮かべてみせるビスキュイの質問に、フェンベルクは自分がジっと、親しげに会話を交わしているツィンマリ達二人を見ていたことに気付いた。
 以前、ツィンマリを勝手に連れ出したユルギスになんらかの罰を与えようとしたときのこと、”フェンベルク殿って、どうしようもないヤキモチヤキだね”と、ビスキュイに正面切って言われていた。これ以上、笑い者にされてはたまらないとフェンベルクは慌ててそっぽを向き、同じ徹は踏むものかと口の中でモゴモゴと呟いた。ビスキュイが次の言葉を発する前に、お茶の用意を全て終えたテイラー夫人が満足の笑顔を浮かべ、改めて挨拶を述べに傍に立った。
「ようこそ、クーベタッド御夫妻をはじめとした方々」
 そして、テイラー夫人は夫妻の横にいたビスキュイへ視線を移すなり、驚いたように言った。
「なんて短い髪。綺麗な色の髪なのに、勿体ないことね」
 突然のことに一瞬表情を強張らせたビスキュイだったが、テイラー夫人の表情には、悪気はなかった。
「そう言ってもらえると。……髪は私が唯一誇れるものなので。
 色も艶も、足りないのは長さだけ」
 ビスキュイは肩を竦め、笑顔で答えた。
「でも。最近ちょっと艶がなくなったかな。どこかの夫婦間の問題に嵌り込んでしまったせいで、心労が重なったせいだと思うんですけど」
 冗談の通じる性質と踏んだビスキュイの目論みは当たり、その返答に夫人は大いに笑い、ちょうど紅茶を口にしていたフェンベルクは、変なところへ入れてしまったらしく苦しそうにむせ返った。
 そう狭くない部屋にぎっしりといった人数が揃い踏んだ部屋で、夫人の気の利いた会話や接待はツィンマリの笑顔をも誘った。
 話題は当然のように、フランボワのことになる。なるが、フェンベルクの手前の遠慮から、当たり障りのないところに始終した。
 同じ敷地内の離れに暮らし、日頃からなにかとフランボワの不運な人々に気をまわしてくれているテイラー夫人の厚意は、素晴らしい夕食までもを用意してくれて、途切れることのない和やかな会話にはキリがない。しかし、あまり長居しすぎて迷惑をかけてもいけないと、この食事を終えた辺りで屋敷を辞そうかとフェンベルクは頃合を見計っていた。食卓を共に囲む人々の顔に懐かしさにも似た温かさに後ろ髪を引かれ、そのうちに、ツィンマリがふいの体調の悪さを訴えた。
「大丈夫か?」
 気遣う言葉とは裏腹に、フェンベルクは思わず舌打ちした。それは帰宅を告げる決断の遅れた自分への苛立ちと、そんなに屋敷へ帰りたくないのかとツィンマリを勘ぐりたくなったためだった。だが、少し休ませて欲しいと小声で答えたツィンマリにつける悪態はそこまでだった。
「向こうのベッドまで、歩けますか?」
 一晩休んでいきなさいというテイラー夫人の申し出に、フェンベルクは感謝を述べ、ツィンマリを抱き上げた。
 夫人の年を感じさせないしっかりとした足取りを追い、通された部屋まで運ぶとゆっくりと、その身体をベッドへと横たえさせた。
「どこか悪いんじゃないのか?」
 気持ちの少し落ち着いたフェンベルクは、傍に膝をつき、ツィンマリの顔を見つめながら聞いた。
「水が変わったからじゃない? 住んでいる地が変わったんで調子が狂ったんでしょ」
 背後から、覗きこむようにしてビスキュイが代わりに答えた。
「頼りになるはずの旦那様は、毎日お仕事で午前様だしさ」
 チクリチクリと痛いところを厭味っぽい口調で刺すビスキュイだったが、それを憎ったらしいとは、フェンベルクにはやはり思えない。ツィンマリを想って言っているのだということがわかっていれば、反論する必要もなかった。
「悪かったよ」 
 フェンベルクは、誰にともなく謝罪の言葉をこぼした。小間遣いの持ってきた水を飲み、一息ついたツィンマリをみつめていたテイラー夫人が、
「ローエントッドの男性は、奥様に対してお優しくないのかしら?」
 からかうようにして尋ねた言葉に、ツィンマリは小さく微笑みを浮かべて即答した。
「いいえ」
「ローエントッドの男性は、えばりんぼが多いね。家に閉じ込めたり、見張りの兵を増やしたり。あれダメ、これダメって」
 ビスキュイが勝手に、足りない言葉をたした。
「それ、誰のことだよ?」
 フェンベルクはあてこすられているのを感じ、嫌な表情を浮かべて問い詰めた。
「――自覚してるんなら、もう少しなんとかすればいいのに」
 呆れたような表情でトドメを刺され、フェンベルクは、ついにぐうの音も出なくなった。
 さて、とビスキュイがその場の注意を引こうと言葉を切った。
「フェンベルク殿は、どうされますか?
 私は心配なんで、ツィンマリについて今晩泊めてもらおうかと思うんですが」
 笑顔を見せている夫人の前で、ビスキュイは軽い調子で尋ねた。もっとも、軽いのは口調だけで、目は笑ってない。ここで無理にでもどうしてもツィンマリを連れて帰ると言えば、ようやく和んだ雰囲気を壊した責任を追及されるのが目に見えるようで、フェンベルクは、とうとう降参した。
「では、旦那様はわし等ともうしばし語らいを楽しみましょうか。色気がなくて申し訳ないが」
 ワッカロン老人は白い髭を扱きながら、ホッホと笑うとフェンベルクの腕をとり、元の広間へと去っていった。




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