A2002年
東京旅行記より
[オリンパスFH型顕微鏡]
 ぼくが大学を中退することを決めた理由のひとつに、最先端の研究者の一人に組み込まれたくなくなかった、ということがあります。その頃よく読んでいたゲーテのファウストという本の中にこんな言葉がありました。
「得体の知れぬ苦しみが、おまえの生のあらゆる躍動をせきとめている理由がわからぬのか。神は生きた自然の中に生きよと人間を創ったのに、おまえはすすとかびにまみれて、獣や人間の骸骨に取り囲まれているのだ。さあ、逃げ出せ。広い世界へ出て行け……」
 20年以上かけてやっとたどり着いた研究者の道だったんですが、そこはぼくには窮屈な世界だったんですね。「とても、こんな狭い世界を突き詰めてなんて行けない。もっと広い世界を見つめていたい」という、気持ちが押さえがたかったのです。研究室の窓から駒ヶ岳が見えたんですが、それが夕刻になると、ピンク色に染まるんですね。それを目にしたら最後、もう体がむずむずして来るんです。そして「どうして、自分はこんなところでこんなことをしてるんだろう?あれを写さなきゃいけない」そう思い思いしながら、苦しんでいたんですね。それで、研究室にいれなくなってしまいます。それで何とかしてこれからの人生生活を安定させなきゃと必死に考え続けるんです。あれから今年で、10年くらいたつんですが、やはり、自由と安定って両立できないでいます。自分が理想とした仕事内容ではなかなか飯が食えない。それで、息子に今でも、お父さんと呼ばれる資格がないなんて真剣に思っているわけです。
 そうは言っても、自分が信じた道を進んでいこうという意志は衰えることはありません。つまり、広い世界の中で色々な感動と共にいる生き方なんですが、その中で、どうしてもやりたかったのが、ミクロの世界を写すことなんです。1ミリの千分の一の大きさの世界から数百万光年彼方を見つめてみたい、という思いなんです。しかし、このミクロへの思いは大がかりになるから、晩年になるまでやめようと思っていたのです。しかし1月の暇な午後「一応、どこに顕微鏡店があるかだけでも調べておこう」と思い立ち、NTTまで全国のタウンページの閲覧に行ったわけです。すると、全国で顕微鏡が買える店というのはたったの一店しかなく、その店名を控えて帰ると、試しに電話してみようと思い、非常に軽い気持ちで受話機を取りました。すると、電話の向こうでは女の人が出たので「こんな顕微鏡がほしいのですが……」と説明します。ところが「今、主人は出かけていますので……後ほどご連絡します」と、奥様らしき人が丁寧に受け答えしてくださり、その場は終わります。まあ「数日のうちに電話が来るかもなあ」と、その時も軽く考えていました。しかし、その夜遅く電話がかかってきて、いきなり「浜野です」と言うやいなや、ものすごい勢いで話し始めるのです。明視野ですか、位相差ですか、微分干渉ですか、それとも、偏光?よくわからない言葉が連発して、ぼくはちんぷんかんぷん。しかし、電話から伝わってくる、浜野氏の姿勢は非常に丁重かつ、親切で、それからというもの「彼に会いたい!」という気持ちが日増しに強くなっていきます。電話段階で、ぼくが希望するオリンパスのBH-2型顕微鏡が偶然にもあったので「これはもう行くしかない!」と、思い、ついに重い腰を上げたのでした。
 実は、そのひと月前、札幌の光学機器会社にBH-2の商談をしていたのですが、感じが悪かったのでそのままプン!とそっぽを向いていたのです。そんなぼくを動かしたのはやはりBH-2ではなく、浜野さんだったんですね。浜野さんの印象が悪かったらぼくは絶対動かなかっただろう。そして、そのためにBH-2が手に入らなくとも、そのままうやむやにしてしまっただろう。ぼくという人間はそういう奴である。まして、晩年に延ばそうとしていた顕微鏡写真である。浜野氏はぼくの運命を変えてしまったのである。
 そこで、ぼくたちは東京にむかうことになります。たまたま低気圧の影響で、フェリーでは行けず、陸路、東京まで七百kmを走ることになります。その道程は思った以上に走りやすく、その夜2時には仙台の手前まで走ることができます。その夜は、仙台市郊外の湿原の中で眠り、そこから先は、朝から走ることにします。仙台からは太平洋に出て、国道6号線を行きます。つまり、茨城県の鹿島灘に面した地域を行くわけですが、その地域を遠目に見るとき悲しくなるくらいに開発された光景を目の当たりにして驚きます。無数の高圧電線、白赤の煙突……そして、その隙間に点在する殺風景な田畑。ここまでしないと人は生きていけないのか?と思うわけです。
 東京に着いたのは、比較的早く夜9時を回ったくらいでした。早速眠る場所を探し回りますが、なかなか見つからず、結局、荒川沿いの一角で車一台を泊めるスペースを見いだします。上を見上げれば、幾層にも高速道路が重なり合って延び、そこをトラックがひっきりなしに行き交っています。しかし、荒川の河原の中にはヨシの茂っているところがあり、比較的落ちつくことができます。早速、僕たちは途中で買ってきていた魚とサヤエンドウを焼き、ご飯を炊いて遅い食事をとります。そして、食事を作りながら見上げた東京の夜空には、もうアウクトウルスとスピカが輝いています。春がそこまでやってきています。そして、やっと午前2時過ぎ、眠ることができたのでした。
 朝、お日様が上ってきました。美しく、すがすがしい朝の訪れです。函館にいると、冬、朝日など見ることもできません。ずいぶん久しぶりの朝日です。そんな、朝日と久しぶりの再会を果たし、軽く朝食をとりながら、念願の浜野顕微鏡店に向かいます。東京の朝は混雑していましたが日の光が街に乱舞してとても明るく、すがすがしい朝でした。そんな朝の光の中を、地図を頼りに少しづつ浜野顕微鏡店に近づいていきます。
 浜野顕微鏡店は東京大学の赤門の前にあります。今から14年くらい前、あろうことかぼくは浜野顕微鏡店の前を通り過ぎていたのです。かすかな記憶の中、古くさいショーウインドウの中に、ニコンの黒い顕微鏡が八万五千円で売っていたことを覚えています。あの当時、こんな旧式の顕微鏡では見えないだろうなあ、と思い思いしながら後にしたわけです。その記憶の中にあった顕微鏡店に14年後の今、こうして再訪し、店主に会える日がくるとは夢にも思いませんでした。

  ◆浜野氏と会う。 

 店の雰囲気は14年前とはすっかりかわり、古い木の感じは失われていたものの、店のガラス戸には大きく浜野顕微鏡と書かれていて、白っぽい印象を受けました。ガラス戸をあける前、すでにぼくたちはショーウインドウの中に置かれているライカの実体顕微鏡や黒い旧式の顕微鏡に釘付けです。しばらくして、ガラス戸を開けて中にはいるとその机の上にはBH-2がど〜んと置かれ、我々を迎える準備は万端できているということがうかがわれました。奥から出てこられた浜野氏はイメージこそ違うものの、予備談義抜きで、顕微鏡の説明を開始します。しかし、ぼくの方は彼の説明を聞けるほどには知識や経験はなく、寂しい思いを重ねます。まず、BH-2に組織切片の永久プレパラートをのせてもらい、これを観察します。それを機に偏光顕微鏡の原理、位相差のことなど次々に新しいことの連続です。その内に、横の棚で後ろ向きにまるで隠すかのようにずら〜っと並べられた顕微鏡群が目に入ります。浜野さんが席を離れている間に、詳しく見てみたぼくは、そのうちの一つを見せてくれるようにお願いします。
 その顕微鏡は灰色をしたFH型というオリンパスのかなり旧式の物で、値段を聞くと13万円だと言います。BH-2が35万円だから、かなり安いことがわかります。早速その二つを見比べさせてもらいます。その結果、やはりBH-2の方が素人目にはよく見えます。視野も広く、塗装もBH-2の方が白に黄色を混ぜたような明るい色調で、いいなあ、と思います。程度も、この当時の物としては、非常に良いと言います。なにせ、当時BH-2といえば定価100万円はしたし、そのうえ、ぼくは50万円はする写真撮影装置を5万円で買おうとしている。ぼくは2台の顕微鏡を目の前にして悩みます。そして、ぼくの心がBH-2を離れ、旧式のFH型に移行していこうとするのを見据えるかのように、浜野氏はその気持ちを加速させていきます。FH型はねえ、砲金という金属でできてるんだよ!とか、カメラアダプターのところに互換性があって、色々な工夫がしやすいんだよ!とか、ほら、ステージがこんな感じで回転するから特殊な効果を得やすいんだよ!とか、もちろん望めば写真撮影装置も取り付くからねえ!そして最後に、ただし、この顕微鏡を使うにはケーラー照明の原理と操作を理解しないといけない!とくる。ケーラー照明という名前くらいは知っているが、どうしてそれを知らなくてはならないのかその時のぼくには分からなかった。その昔から、ぼくは照明のついた顕微鏡に憧れていたが、結局大学でも最後まで照明付きの顕微鏡を使えなかったのでそのコンプレックスはかなり強かった。そして、浜野氏はこの照明法を理解したらBH-2なんていう高価な顕微鏡は必要ないとまで言い出した。つまり「最先端の研究者たちはケーラー照明がどうのこうの、なんていう面倒くさいことをいやがるんだよ。彼らは会議だの、学会だの忙しい用事をたくさん抱えているから、顕微鏡のことまで、考えたくないんだね」だから、「わざわざ高いお金を出してBH-2みたいな高級な顕微鏡を買ってくれるわけ」しかも、BH-2なんてアルミでできてるんだよ!単なるアルミ!へこんだらもう修理不能になる。しかも、カメラアダプターは互換性がなく品質維持の名目でオリンパスの専用品しかつかないように造ってある。全然、互換性がない。まあ、壊れたら新しいのを買って行ける人たちにはいいんだけれど……。という。ここまで言ってもらってから「FH型の照明は30wですが、撮影にだいじょうぶですか?」と聞いてみた。「大丈夫」力強い答えが返ってきた。ぼくは嘘でも、この言葉を信じようと思った。
 次に、ぼくはBH-2についている視野全面にピントが合うプランアクロマートの対物レンズがほしかったので、そのことを伝えると、視野中心部でしかピントがこないアクロマートで十分、との答え。その時は結局対物レンズは買わず、後で買うことにしたが、少し分かってくると、この時の浜野氏のアドバイスの適切なことが分かってくる。
写真を撮るのに視野周辺の像の乱れは関係ないのだ。むしろ、複雑なレンズ構成のプランよりも単純なアクロマートの方がコントラストの面ではるかに有利!と説明する。このことに今なお確証はないが、普通の営業ならば高価なプランアクロマートを勧めるだろう。しかし浜野氏は理論的に最低限必要であり、十分な物をぼくに勧めてくれた。そして、分かってくれば分かるほどに、彼のありがたさが増し、こうしてぼくに書かせている。おまけに、位相差などに拡張して行きたくなってもプランアクロマートでは対応できないことも、調べると分かってくる。そんなことが分かると、ほっと胸をなで下ろす。「無駄な投資をしなくて良かった!」まさに、浜野さん感謝である。
 こうして、BH-2への夢は捨て、新しく出会ったオリンパスのFH型。早速、写真館に帰って遊びで血液などを見たりしているが、非常によく見える。ただ、写すとなると、20万円分を埋め合わせる工夫をしなければならないだろう。しかし、まずは見ることが基本だと思うから、今後、この顕微鏡を頼りに一ミクロンの世界を旅してみようと思っている。しかし、ちょっと使ってみて、見るだけでも照明付きはすばらしい。なにせ、夜でも、昼でも、いつでもスイッチを入れるだけで、即見る事ができる。てますから」との答え。その答えは涙もので、閉店ギリギリくらいにようやく念願のCATに到着します。
 そのお店は、東京のどの望遠鏡店よりも望遠鏡店らしく美しい店でした。内装は奥が紺色に塗られた壁で、店の中央には、最近入ったという旭精光の26cm反射が置かれています。そして、その店の主、箕輪(みのわ)さんは声からは想像できない感じの人で、体の大きな力持ちさんでした。
 どうして、このお店に来たかったかというと、ぼくたちは以前から中古望遠鏡のリストを一月に一度送ってもらっていて、その中で気に入った望遠鏡を買うなんて事をしていたからです。そしていつも箕輪さんのやさしい対応を受けていたので、どんな人か一目見たかったのです。「どうしてこのお店を始めたんですか?」とか「どうして望遠鏡のお店なのにCATって言うのですか?」とか「ぽっぷに書かれた文字の丁寧さに心打たれてました」とか色々聞いてみたかったんですが、そのうち忘れてしまいました。知らないでいた方が、色々と空想できて楽しいと思ってるからでしょうか。ただ、一つ感じたのは、箕輪さんが望遠鏡のこと、星のことをとても愛しているということでした。店の中には、売りたくない望遠鏡がたくさんあります。きっと自分の手元に置いておきたいのでしょう。例えば店の奥に「金沢から来ました」という西村製作所の20cmF8の反射望遠鏡が置かれていました。その昔この望遠鏡は惑星を観測するために造られたもので、アンティークな雰囲気がとてもよい感じで伝わってきました。西村製作所というのは京都の望遠鏡の会社で、今もなお美しい望遠鏡を造っている会社です。この会社の製品はなかなか高価なものですから、そう簡単には買うことができる物ではありません。憧れの望遠鏡というところでしょうか。しかし、このような憧れの望遠鏡が最近、我々一般の人の生活から遠ざかっていこうとしています。一般向けの望遠鏡が造られなくなったり、会社が成りゆかなくなったりするからなのです。もちろん、最近の不景気のせいもあるのでしょうがそれ以上に街中の光害がひどくなってきたのが一番大きな原因だと思います。そう、ぼくだっていつかはあの憧れの望遠鏡がほしい!という気持ちはあるんだけれど、今の写真館のあるところに置いても、思う存分見ることができないからです。それはどんな人も同じだと思います。家の前にポンと出して、気軽に色々な宇宙が見ることができるのだったら、もっとたくさんの家に望遠鏡があることでしょう。ところが最近、光汚染がひどく家の前から見えるものといえば、太陽系の惑星くらいがやっとで、それ以上遠くはもう見ることができないのです。そこで中小型望遠鏡を買って、光汚染のないところに行こう!というのが今の主流で、例にもれずぼくたちも中小型の望遠鏡へと、むかってしまいます。また、この他にも分解できる大きな望遠鏡を山奥に持っていって、深い宇宙をお散歩してくる人たちもいますし、片目でのぞくのではなくて、両目でのぞける望遠鏡を造って楽しんでいる人たちもいます。
 そこで、ぼくたちはこの初めてのCAT訪問では、さらに小さく、しかも3つに分解できる赤道儀を購入します。知っている方もおられると思いますが、高橋製作所のスペースボーイという名前の赤道儀です。この赤道儀はカタログで見ていたときには「格好悪〜い」と思っていたのですが、実物を見るとこれがまた、なかなかいいのです。そして、3つに分解できるため、カメラの三脚にものせることができて、これが本当にできたらおそらく僕たちの世界は格段に広がるはずです!なぜって、とっても軽いから簡単に海外に持っていける大きさになるからです。かねてから「大きな機材をもって海外に撮影に出かけて、星の撮影だけに振り回されたくない。せっかく海外に行くのだから、色々なところを歩いてみたい」と、ぼくは胸の中で思っていました。そんな矢先に、この赤道儀に出会います。嬉しかったですね。なんと店の中には2台の中古のスペースボーイが置かれていたので、そのうち、旧式のグレー色の方を買うことにしました。でも、しっかり極軸望遠鏡のスケールだけは新しいものととりかえてもらったり、モータードライブ-ドライブもつけてもらったりして、フル装備になりました。「これで、うまく行けば海外に気軽に星の撮影に行くことができるんだ」思うと、箕輪さんに感謝の思いが募ります。まさか、新品で買う……なんてぼくにはとてもそんな勇気はないですからねえ。中古だと新品の半額以下になるのですから。「箕輪さんがいてくれなかったら、ぼくの未来は開けなかったなあ」とスペースボーイを梱包してくれている箕輪さんを見ながらそう思いました。でも、みなさんにも、これ持ち上げてもらいたいです。とっても軽いんです。なのに質感があって、とてもいい感じ。女性でもひょいひょい持ち運びできる重さです。名前はちょっと女性向きではないんですが。
 閉店時間の7時はとっくに過ぎて、もう時計の針は十時近く。箕輪さん、こんな遅くまでごめんなさい。そんな思いと、名残惜しさを胸に抱いて、どこともしれぬ関東平野に戻ります。後は、地図を頼りに長野にむかいます。果てしなく続く夜の関東平野。その中で、白っぽい街灯が点々と連なっています。ぼくたちはそんな夜の関東平野の光景を見ながら車を走らせます。車の後ろは、さっき買ったスペースボーイと2台の顕微鏡でいっぱいです。その夜は群馬県と長野県の県境にある内山峠で眠ることにします。内山峠は佐久市の手前、妙義山の南麓にあって、さすがにここまで来ると星がきれいです。見上げる夜空には月と土星が仲良く並んでいます。そう言えば南の地方では土星食だったよなあ、と思いながら眠りました。
 翌朝、内山峠を越えると、もうそこは長野県で、茅野市に入る手前から八ヶ岳連峰が非常に美しく望むことができるようになります。その日は一日中八ヶ岳を写し、その夜は岐阜県と長野の県境にある清内路村(せいないじむら)まで進み、そこで泊まります。清内路村は旧中山道の馬籠宿や妻籠宿の近くの村で、国道沿いに気軽に湧き水が汲めるところがあります。そこで、30リットルの水を補給し、ついでに清内路村の豆腐を買います。そして、しばらく進んでから、待ってましたとばかりに車を止めて清内路の湧き水で入れたコーヒーをいただきます。いや〜これがまたうまいんです。その後は、名古屋、四日市を抜けて神戸にむかいます。名古屋は伊勢湾に面した街で、庄内川や日光川そして木曽川、長良川といった大きな川が連続して伊勢湾に流れ込んでいます。そんな川を通過するたびに、大きな歓声が上がります。「でっかいなあ!海じゃないよね。あれ、全部水だよねえ?」なんて感じの歓声です。そこで「いいとこだったんだろうねえ」とぽつんと、つぶやくのは慶ちゃん。確かに、今までいた清内路村とは全然違っている。「何もなかった頃、古き時代の雄大な川の流れと、伊勢湾に乾杯!」と、コーヒーを飲み干すぼく。河口を埋め尽くす工業地帯。そんな光景を目にしながら飲むコップ一杯の清内路村のコーヒーはうまい。おいしい水と、おいしい空気とを見捨てて成長した日本の重工業。いつの日にかこの重工業とおいしい水を両立できる日が来るのだろうか?もし、そんなことができたなら、ぼくはきっと天国から拍手喝采、エールを送ることだろう。